恋は人を狂わせると言うが、まさしくその通り 「Trick or treat」 子供達は口々にそう唱えて扉を叩いた。小さな魔女や小さなミイラ男は、成歩堂の顔を見ると両手や籠を差し出した。 「悪戯されたら敵わないなぁ。」 そんな言葉を口にして、胸元で十字を切ってから用意しておいたお菓子の包みを渡してやる。そうして奇声を発しながら次ぎの獲物を狙う悪霊達の背中を見送って苦笑した。 日曜日のミサでは見たこともない者も、こんな時ばかりはこの貧乏教会を襲撃していくのだ。 「見るからに貧乏教会からよくまぁ持っていくよ。ああ、神よ。僕の明日からの生きる糧に加護をお願いします。」 軽い溜息は、ジャックランタン達が彩る街並へと熔けていく。扉にもたれ掛かかり暫く外を眺めていたが、ここらに住まう悪霊達は満足した様子で、子供達の喚声も遙かに遠かった。 やれやれ…と声を上げる。もうお菓子も打ち止めだったのだ。 危険を回避した安堵の気持ちで室内を振り返れば、先程までいなかった『悪霊』の姿があった。 何処から入ったかなど、彼にとってはさしたる問題でなないだろう。 金色の髪と碧い瞳。浅黒い肌で端正な顔立ちの青年は、人間ではない。『吸血鬼』と呼ばれる悪霊の一族だった。それでも、出で立ちはいたって普通、寧ろ一般人の服装よりも派手な印象を受ける紫の上着を羽織っている。 「やあ、弟くん。生憎と菓子は品切れだよ。」 ムスッとした顔で、先程まで成歩堂の座っていたソファーに腰をおろしている男は、成歩堂の台詞でいっそう顔を歪めた。 「僕はお菓子なんか欲しくない。」 そう告げてから、ゆるりと室内に視線を巡らせた。 「此処には、ジャックランタンがないんだね。」 というより、殺風景だけど。彼はそう付け加えて、長い脚を椅子の上に引き上げ、顎を乗せた。電気代節約の為に光量を落とした室内で、さらりと揺れる金の髪が輝く。 その輝きに、成歩堂の背筋はゾクリと震えた。 「…追い払いたい悪霊なんて、いないからね。」 意図をたっぷり含めた成歩堂の台詞に、思った通り青年は一瞬頬を染める。そして、慌てて左右に首を振った。そうして、拗ねた顔でそっぽを向いてしまう。 「変な…奴。」 「で? その変な奴に何か用かい、弟くん。」 「響也だ。僕は『弟くん』なんて名じゃない。」 ニコニコと顔を近付くと吠えたてられたが、そこが可愛いのだと成歩堂は目を細めた。 「こんな騒がしい夜に屋敷を抜け出して『霧人』がよく許したね。」 「兄貴は関係ない。」 僅かに息を飲む仕草に、黙って抜け出して来た事が知れた。今頃、あの男は怒り狂っている事に間違いなく、それはそれで面白い出来事だ。 「そう、じゃあゆっくりしておいでよ、響也くん。」 ニコリと微笑みながら、成歩堂は綺麗な吸血鬼の横に腰を降ろした。 成歩堂はこの地域に派遣されて来た牧師だ。 一般的には知られていない事だが、魔女だの吸血鬼だのとお伽噺だと思われている者達は確かに存在している。教会組織はそれを把握し秘やかに沈黙しているだけだ。 何故ならば、悪と位置付けた彼等は、実のところは『主』が現れる前までは『神』に位置付けられた存在だったからだ。 そんな危険な力を持つ奴らに喧嘩を売る者が何処にいる。所詮、上層に属する輩など権力にまみれた奴らが多いのだ。穏便に過ごせるのならそれに越したことはない。 だから、この地に住まう吸血鬼兄弟の存在は最初から知っていた。興味を惹かれて逢いに行ったのは、成歩堂自身が(吸血鬼)という存在を知識として知ってはいても、見たことがなかったからだろう。 街の外れのでっかい屋敷に、手土産もなく顔を出し『やぁ、僕は神父の成歩堂龍一というものだけど、以後お見知り置きを』と告げた時の、霧人の顔は今でも忘れらない。 くくっと笑うと、隣に座っている響也が怪訝な表情でこちらを伺ってくる。ついでなので成歩堂は隣の(吸血鬼)を不躾に眺めた。 兄弟というからには、全体のパーツは良く似ていた。けれども、響也の方が短髪で、全体に未熟な幼い感じを受ける。 もっとも、年齢を聞けば自分より遙かに年上なのだろうけれど。 「何?」 酷く不機嫌そうに尋ねる青年に、いや別にと告げる。 大好きな兄を比喩すれば、響也が機嫌を損ねるのはわかったこと。せっかく、来てくれた彼をこのまま帰してしまうのは勿体ない。 ほら、眉を寄せた表情でさえ蠱惑的だ。 「君こそ、何をしに来たのかなぁと思って。」 チラと意味ありげな視線を送れば、途端狼狽える響也に成歩堂はニマリと笑う。 そわそわと落ち着きなく目を彷徨わせ、何度か窓を見た後に(どうもそこから入ったようだ)拗ねたように唇を歪めて立ち上がる。 安っぽいソファーがギシリと軋んだ。 「別に…その、帰る。」 ぎこちない仕草で、自分から離れようとする響也の手首を成歩堂は引いた。クンとつんのめった後、背中から成歩堂の膝の上にダイブする。 「わぁああ!?」 脚の間に背中を押し込まれた挙げ句、片手を成歩堂によって頭上に固定されてしまえば、起きあがる事は勿論、動く事もままならない。 自由になる脚をバタつかせて睨み上げてはみたものの、見下ろす成歩堂の表情は余裕で全く動じる様子もないので、響也はすぐに大人しくなった。 人間のくせにと腹立たしく思うのと同時に、人間だからこそ欲求を持って此処へ来た自分を思い返したからだ。 神父などという聖職者にも係わらず、この男は初めて逢った時から変わっていた。 響也の腕を掴んでいない方の手で、かっちりと着込んだ黒い牧師服の衿を緩め撫でる。浮いた血管の青さに、響也はゴクリと唾を飲む。堪えきれない欲求に、犬歯が疼いた。 「僕の血が欲しくなったんだろ?」 content/ next |